新本格ミステリに拘泥する (休止中)

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zoom RSS 193 『依存』 西澤保彦

<<   作成日時 : 2010/05/26 02:44   >>

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★★★★☆
「本格ミステリ」が「人の生死をもてあそぶ小説」なのだとしたら、「そうでない小説」は「人の心をもてあそぶ小説」なのではないだろうか。決定的な違いは「もてあそばれる」のが「本格ミステリ」では「登場人物(の生死)」であるのに対して、「そうでない小説」では「読者(の心)」である、ということ。
だからこそ「本格ミステリ」は、現実から遊離している、リアリティがない、人が描けていない…。そう考えるなら、そしてそれを単純に「フィクション」としてみるなら、「本格ミステリ」はより高度なところに位置する、とも言えないか。

閑話休題。本作は「匠千暁シリーズ」第6作(短編集「解体諸因」を数えた場合)、長編としては5作目。
上述したことに全くもって反するが、このシリーズで「もてあそばれる」のは「登場人物と読者の心」である。いうまでもないが「本格ミステリ」は「論理」を背骨に構成される(べきだと考える)。その時、「登場人物」は「記号」或いは「駒」であり、「論理」に沿って動くことを求められ、その「心」はメインには考えられない。また、「読者」への働きかけも「心」というより「頭」に対して行われる。「死」が描かれてもそれに伴う「感情」は、形式的に描かれることが普通である。(ごく単純化して書いていることをお許しいただきたい)

しかし、本シリーズの、特に「スコッチ・ゲーム」以降ではまず、「登場人物」が大きなウェイトを持って描かれる。その「心」に対して「読者」が十分に(シリーズを通じて)同調したあとで、いわゆる「事件」がそれを「もてあそぶ」。当然「読者」もそれにもてあそばれることになる、かなり重い。更にその上で、その「解決」は「本格ミステリ」から絶対に外れない。「全く本格ミステリらしくない材料」を「本格ミステリそのものの手法で調理している」、そのような、二重三重の「ねじれ」がこのシリーズの魅力の一番大きいところではないだろうか。
「本格ミステリ」でありながら、ラストに描かれるのは「世界が真理を取り戻す様」でなく「心が平和を取り戻す様」である。少しエモーショナルに過ぎる書き方だろうか。

なんだか「うわ言」みたいなことばかりを書いてしまったが、「物語」として、このシリーズの「集大成」として、この作品は非常に素晴らしいできである。細々挟まれる小さな「謎」、「語り手」としてのウサコという存在のクローズアップ、そして「主役」となったタックとタカチの「在り方」、全体を支配する「精神」という極大ともいえるテーマ、読みどころは限りない。

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