新本格ミステリに拘泥する (休止中)

アクセスカウンタ

zoom RSS 196 『リドル・ロマンス 迷宮浪漫』 西澤保彦

<<   作成日時 : 2010/05/29 01:18   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

★★★
「本格ミステリ」としては、かなりの「怪作」、或いは「問題作」。
8編の短編からなるが、その「主人公」たちは、探偵役に「願いをかなえてほしい」と依頼に来る、「クライアント」である。そしてこの「心理探偵」は彼女たち(クライアントは女性)の依頼に対して、実際的な「調査」も、「推理」さえもしない。本作における「探偵」は、「心理」しか扱わない。事件は基本的に「心の中」にしか存在しないし、その「解決」と考えられる部分にも、外的な裏づけはなく、言うなれば「無根拠」の状態であり、そのまま物語は収束する。極端にいってしまえば、「本当にそのような事件があったかどうか」すら、問われていないのだ。どこまでが「リアル」なのか判然としないのだ、この時点で「本格ミステリ」として「破格」であることは理解してもらえると思う。(故に、何をどう書いていいのかまとまらない)

…と、このように書いてきて、非常に居心地の悪いものを感じる。だったら、自分が好きで「拘泥している」、いわゆる「本格ミステリ」を、そもそも「裏づけてくれるもの・保証してくれるもの」はなんなのか、と。
「本格ミステリ」が「一般的な小説(言葉が足りないのは御容赦を)」と一線を画すのは、一面的に言えばその「世界」が「理屈として納得をさせようと書かれている」、という点にあるのではないか、と考える。作者は読者に向けて「非常識な謎」を見せた上で、それに「納得できる形での結論・収束」をつけて驚かせる。そこの「説得力」が作品の出来を最も左右する(かなり乱暴なまとめなのは御容赦を)。一般的な小説では「非常識な謎」が登場しても、それが解かれることは「必要条件」ではない。

しかし、「本格ミステリ」における「結論・収束」ですら、結局は所詮作者の創った「フィクション」であることに変わりはないのだ。「その根底に保証があるのか?」と問われたら、確信を持ってイエスと答えることは出来ないだろう。もしかするとその「保証」は、「本格ミステリ」というものに対する、作者・読者の「共同幻想」なのかもしれない。要するに、この作品は「本格ミステリが持つ特性・魅力、或いは虚実性・弱点」を、このような「書き方」を用いることで分解し、暴露しまっているのだ。だから「居心地が悪い」。

能書きばかり長くなった。今作において「本格ミステリの必要条件といえる材料」の内、確実に使われているのは「ひっくり返し」だけであるといえる、主に「ラストにおける驚き」。その点だけは「本格ミステリ」らしい。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
196 『リドル・ロマンス 迷宮浪漫』 西澤保彦 新本格ミステリに拘泥する (休止中)/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる